1989-10-24 第116回国会 参議院 予算委員会 第3号
○上田耕一郎君 はっきり答えないので言いますと、昭和六十年四月二十三日、社労委員会で、共産党の安武洋子議員の質問に対し、厚生省は「二五%ぐらい」こう答えている。しかし、もう既に二八%なんですよ。それで、今二十万で二八%なんだから、四十万近くなってごらんなさい、必ず四割になりますよ。しかも、安武さんの質問に対して、当時の吉原健二年金局長は、今の次官です、こう言っている。
○上田耕一郎君 はっきり答えないので言いますと、昭和六十年四月二十三日、社労委員会で、共産党の安武洋子議員の質問に対し、厚生省は「二五%ぐらい」こう答えている。しかし、もう既に二八%なんですよ。それで、今二十万で二八%なんだから、四十万近くなってごらんなさい、必ず四割になりますよ。しかも、安武さんの質問に対して、当時の吉原健二年金局長は、今の次官です、こう言っている。
この点につきましては、太子工場の汚染が問題になったときに、これは一九八四年四月十六日の参議院決算委員会で我が党の安武洋子議員が汚染の解明、企業責任の明確化、トリクロロエチレンなどの排出規制を要求いたしました。当時、佐竹さんですが、水質保全局長が答弁いたしました。
○諫山博君 昭和六十年九月十九日の参議院の決算委員会において、共産党の安武洋子議員が中曽根総理の関係した東京興産の違法な政治献金問題について取り上げております。警察の説明は「今後事実関係を把握した上で、適切に私どもとしては対処いたしたいと思っております。」となっていますが、この事件はどうなりましたか。
昭和六十一年五月二十一日(水曜日) 午後一時二十二分開会 ————————————— 委員の異動 五月八日 辞任 補欠選任 山田 勇君 田渕 哲也君 五月九日 辞任 補欠選任 海江田鶴造君 福田 宏一君 上野 雄文君 青木 薪次君 近藤 忠孝君 安武 洋子君
去る九日、近藤忠孝君、上野雄文君及び海江田鶴造君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君、青木薪次君及び福田宏一君が選任されました。 また、十三日、工藤万秒美君が委員を辞任され、その補欠として山崎竜男君が選任されました。 また、十四日、山崎竜男君が委員を辞任され、その補欠として名尾良孝君が選任されました。
牧君 上野 雄文君 五月七日 辞任 補欠選任 吉川 博君 沖 外夫君 上野 雄文君 村沢 牧君 栗林 卓司君 伊藤 郁男君 五月八日 辞任 補欠選任 宮島 滉君 大木 浩君 村沢 牧君 瀬谷 英行君 近藤 忠孝君 安武 洋子
午後一時開会 ————————————— 委員の異動 四月二十四日 辞任 補欠選任 浜本 万三君 青木 薪次君 四月二十五日 辞任 補欠選任 浦田 勝君 鈴木 省吾君 竹山 裕君 福田 宏一君 出口 廣光君 井上 吉夫君 橋本 敦君 安武 洋子
また、四月二十五日、橋本敦君、浦田勝君、竹山裕君及び出口廣光君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君、鈴木省吾君、福田宏一君及び井上吉夫君が選任されました。 また、四月二十六日、鈴木省吾君が委員を辞任され、その補欠として安孫子藤吉君が選任されました。 また、本日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として近藤忠孝君が選任されました。 —————————————
昭和六十一年五月八日(木曜日) 午前十時開会 ————————————— 委員の異動 四月二十四日 辞任 補欠選任 橋本 敦君 安武 洋子君 四月二十五日 辞任 補欠選任 水谷 力君 藤田 正明君 久保田真苗君 安永 英雄君 安武 洋子君 橋本 敦君
異動 四月二十三日 辞任 補欠選任 添田増太郎君 井上 吉夫君 安孫子藤吉君 鈴木 省吾君 青木 薪次君 浜本 万三君 四月二十四日 辞任 補欠選任 井上 吉夫君 出口 廣光君 鈴木 省吾君 浦田 勝君 福田 宏一君 竹山 裕君 安武 洋子
○安武洋子君 じゃ最後に、今おっしゃった趣旨で地元との話し合いがつくまではこういうものに対しては私は認可をしないという毅然たる態度で臨んでいただきたい、そのことをお願いいたしまして私の質問を終わります。
○安武洋子君 競馬会の意向だけをお聞きになっておられて、駅ビルというのがもう場外馬券場として強行的に着工をされているということは御存じはないと、こういうことでございますか。
○安武洋子君 そんなことない。それは地図が間違っている。
○安武洋子君 抜本的な対策というのは、どういうことですか。
○安武洋子君 地元は反対したんです。
○安武洋子君 それをやったんです。
昭和六十一年四月十四日(月曜日) 午前十時二分開会 ————————————— 委員の異動 四月七日 辞任 補欠選任 市川 正一君 安武 洋子君 四月十一日 辞任 補欠選任 八百板 正君 佐藤 三吾君 四月十二日 辞任 補欠選任 安武 洋子君 下田
去る四月七日、市川正一君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君が選任されました。 また、四月十一日、八百板正君が委員を辞任され、その補欠として佐藤三吾君が選任されました。 また、四月十二日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として下田京子君が選任されました。 —————————————
昭和六十一年四月七日(月曜日) 午前十時一分開会 ————————————— 委員の異動 三月七日 辞任 補欠選任 橋本 敦君 上田耕一郎君 三月十日 辞任 補欠選任 服部 信吾君 桑名 義治君 安武 洋子君 橋本 敦君 三月十一日 辞任 補欠選任
○市川正一君 実は最近、私、本委員会にも委員として出ております兵庫県選出の安武洋子議員と一緒に協力いたしまして、関西方面の幾つかの実態について調査をいたしました。しかし、依然としてトラブル、苦情は減っておらぬのです。
去る四月五日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として市川正一君が選任されました。 —————————————
服部 信吾君 伏見 康治君 藤原 房雄君 三木 忠雄君 峯山 昭範君 矢原 秀男君 和田 教美君 市川 正一君 上田耕一郎君 小笠原貞子君 近藤 忠孝君 佐藤 昭夫君 下田 京子君 立木 洋君 内藤 功君 橋本 敦君 宮本 顕治君 安武 洋子
昭和六十一年三月十二日(水曜日) 午前十時開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月十一日 辞任 補欠選任 安武 洋子君 橋本 敦君 井上 計君 柄谷 道一君 抜山 映子君 秦 豊君 三月十二日 辞任 補欠選任 中西 一郎君 石井 道子君
○安武洋子君 VDT以外にありますか。
○安武洋子君 中身を言ってください。
○安武洋子君 総理。
昭和六十一年三月六日(木曜日) 正午開会 ————————————— 委員の異動 二月十五日 辞任 補欠選任 内藤 功君 安武 洋子君 三月六日 辞任 補欠選任 白木義一郎君 藤原 房雄君 ————————————— 出席者は左のとおり。
去る二月十五日、内藤功君が委員を辞任され、その補欠として安武洋子君が選任されました。 また、本日、白木義一郎君が委員を辞任され、その補欠として藤原房雄君が選任されました。 —————————————
昭和六十一年三月五日(水曜日) 午後一時三十二分開会 ————————————— 委員の異動 一月二十四日 辞任 補欠選任 神谷信之助君 安武 洋子君 佐藤 昭夫君 橋本 敦君 二月十四日 辞任 補欠選任 石井 道子君 村上 正邦君 矢野俊比古君 田中 正巳君
去る一月二十四日、佐藤昭夫君及び神谷信之助君が委員を辞任され、その補欠として橋本敦君及び安武洋子君が選任されました。 —————————————
補欠選任 川原新次郎君 鈴木 省吾君 森山 眞弓君 村上 正邦君 二月十二日 辞任 補欠選任 内藤 功君 小笠原貞子君 二月十三日 辞任 補欠選任 小笠原貞子君 内藤 功君 二月十四日 辞任 補欠選任 内藤 功君 安武 洋子
志村 哲良君 服部 安司君 福田 宏一君 松本 英一君 大川 清幸君 白木義一郎君 馬場 富君 上田耕一郎君 安武 洋子
本日、安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として内藤功君が選任されました。 —————————————
英夫君 青木 茂君 委員の異動 十二月二十四日 辞任 補欠選任 内藤 功君 佐藤 昭夫君 伊藤 郁男君 井上 計君 柄谷 道一君 抜山 映子君 青木 茂君 下村 泰君 一月二十一日 辞任 補欠選任 佐藤 昭夫君 安武 洋子